私は、花火を「祝祭の光景」としてではなく、一度現れては消えていく、不可逆な現象として扱っている。
長時間露光と身体的なカメラ操作によって生まれる像は、瞬間を記録した写真ではない。
そこに残されるのは、燃焼、運動、時間の痕跡であり、消失した出来事の残留である。
そこに残されるのは、燃焼、運動、時間の痕跡であり、消失した出来事の残留である。
同じ軌跡は二度と現れず、作品は常に、一回限りの現象として生成される。
近年、私の関心は、
「消えたあとに何が残るのか」
という問いへ向かっている。
「消えたあとに何が残るのか」
という問いへ向かっている。
光が消えたあとにも残る気配。
灰となったあとにもなお留まり続ける痕跡。
灰となったあとにもなお留まり続ける痕跡。
消失したものは、本当に消えているのだろうか。